高橋源一郎『さよならクリストファー・ロビン』
高橋源一郎著『さよならクリストファー・ロビン』(新潮社、2012年)を読了。
この単行本には、全部で6つの短編小説が収録されている。
その中の一つ、「峠の我が家」という短編を私はとても面白く読むことができた。
この短編の中では、私たちが幼き頃に個人的な空想の中で作り出し、生きていたものを「お友だち」と名づけて呼んでいる。
この「お友だち」は、「ほんものの」友だち、つまり幼い子が社会の団体生活(幼稚園や保育園)の中で見つけた肉体を持った友だちを見つけてしまうと忘れ去られ、いなくなってしまう。
簡単に言えば、社会の中で他者を見つける以前に存在した「自己の中の他者」ということができる。
実際の肉体を持ってサッカーや野球をして遊ぶ友だちではなく、そのような友だちと出会う以前の我々が、頭の中で作り上げた友だちを「お友だち」と呼んでいるのである。
「お友だち」は、彼らを作り出した「ご主人」である我々がその存在を忘れてしまうと、「ハウス」とよばれる場所にやってくる。
「ハウス」は「ご主人」に忘れ去られた「お友だち」が行き着く場所であり、「ご主人」の空想の中に居場所をなくした「お友だち」が存在できる居場所なのである。
そして「お友だち」がこの「ハウス」を出て行くときは、「ご主人」が死を迎えるときであり、「ご主人」は死を迎えるときに初めて「お友だち」の存在を思い出すのである。
私はこの短編を読んで、「もしかしたら私にも実際の友だちができる前の本当に幼い頃に、空想の中で遊んでいた「お友だち」がいたのだろうか」と考え、思い出そうとした。
でも残念ながら、何も思い出せなかった。それがとても切なかった。
でも、もし私にも「お友だち」がいたとして、そんな忘れ去られた「お友だち」に「ハウス」のような居場所があるならば、
それはとてもすばらしいことだと思った。
- 作者: 高橋源一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/04/01
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恋
よしもとばななの小説『王国 その2 痛み、失われたものの影、そして魔法』の中に、次のような文章が登場する。
「笑った顔がもう一回見たい。順番に服を脱ぐところとそれをたたむとことがあと一回でいいから見たい、泣いたところさえ見たいけれど、泣いているとうんと悲しい。それだけの気持ちが、恋なのだ。どんな人で、何をしていて、どういう考え方かなんて結局はその笑顔の中に全部入っている。もう一回触りたい、ただ触れ合いたい、笑いあいたい。そんな奇跡が起こって、またこれからもあるかもしれない、ただそれだけでいいのだ。見ていたいのだ、その涙の粒でさえも、もう消えていく。笑顔が見たいけれど、あまりにも透明できれいだから。そして二度とは目の端に輝かないかもしれないから。」
この文章は、主人公の女性である雫石(しずくいし)が恋人の真一郎について述べたものだ。
さらに彼女は、続けて次のように述べている。
「「今が今しかないことを感じさせてくれるのが恋愛なんだ」と、そんなあたりまえのことを、私は彼を通じてはじめて知った。」
私は今まで、恋の終わりを「未来が見えなくなったら終わり」だと思っていた。
例えば、旅行の予定を立てたり、どんな映画を観ようかと話したりと
このような未来のことを話すことが恋人同士の間になくなったら、二人の恋は終わりだと考えていた。
つまり、未来があるから恋は成立すると考えていた。
しかし、上記の二つの文章には、恋とは自分と恋人との「今」を、そして「瞬間」を感じることであると示されている。二度とは訪れることのない「今」および「瞬間」を恋人同士が感じあうことが恋なのである。それは「あたりまえのこと」なのであるが、意外と気付かないことなのである。
そのことに気付かせてくれたこの小説の中には、私をハッとさせるような言葉の魔法が散りばめられている。
きらめく言葉の魔法をシャワーのように浴びることができ、爽やかな読後感が残る小説だった。
- 作者: よしもとばなな,黒田アキ
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王国〈その2〉痛み、失われたものの影、そして魔法 (新潮文庫)
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祖母
1月3日は愛する祖母の誕生日。
とはいえすっかり忘れてて、
最近のやつれた髭面の僕をみてもらおうと、
母と姉に写メールを送ったら電話がかかってきて、
「今日は祖母さんの誕生日だよ!」と。
そこで気づいた。
もう81歳になったらしい。
去年は大変だったね。
昨年、祖母は病気で片足を失くした。
「もう歳だから、片足なんかなくたって平気よ。むしろ痛みがなくなって楽になったわ。」
と明るく振舞っていた。
僕には両足があるので、祖母の本当のところの気持ちは分からない。
祖母に対して「すごいなーこの人。」と思うのは、
自分が片足を失くして大変なのに、
常に僕の健康を気遣ってくれるところだ。
「元気?」
「しっかり食べてる?」
「寒いから風邪に気をつけてね。」
「健康が一番だよ。」
そんな祖母からの暖かい言葉を受けて、僕はいつもこう答える。
「それはこっちのセリフだよ。祖母さん、あなたは自分の心配をしなさい。」
祖母のように、人に何かを与える人間になりたいと思う。
(論文に追われて祖母の誕生日を忘れてる時点で、まだまだ甘ちゃんだよね。)
誕生日おめでとう、祖母ちゃん。
長生きしてね。