何かが開く

昨晩は友人とお酒を飲んだ。

この友人というのがなかなか素敵な男で、
僕は彼に信頼と尊敬を抱いている。

この友人のすごいところは、
人の心を開かせることだ。
「こいつには何を話しても大丈夫だろう」と思わせてくれる。

僕の性格は殻に閉じこもりやすく、
人に対してめったに心を開くことがない。

疑り深く慎重な性格なのだ。(そして少し神経質だ。)

しかし彼と話すときは、自分が考えている自分の容量が
ほんの少しだけ増える気がする。

それは会話において顕著にあらわれてくるのだが、
実はそれだけではない。

それは、彼とカラオケに行くときに感じる。


彼は、カラオケに対して容赦がない。
容赦がない、というと少しうるさいのかなと感じさせてしまうかもしれないが、
それとは違う。

例えばある歌手の歌を彼が歌うとする。

たいがいの人がその歌手自身が持っている個性に少なからず影響されると思うのだが、
彼の場合はそれが一切ない。

つまり、その歌手の歌を完全に自分の歌にしてしまうのだ。(しかし声質はベンジーに近い。)
どんな歌を歌っても彼の歌になってしまう。

そして声をとにかく張り上げる。
というか腹から出す。

彼にとって音程は重要なものではなくて、
発声が大事なのだ。

しわがれ声、がなり声を用いて歌手の歌を破壊する。
破壊するというより、彼の中で再構築していると言ってもよい。

彼が歌手の歌を自分の歌にしている姿をみて、
聴いている我々は自分の歌を持ちたいと思う。

自分の歌を歌おうと考える。

彼がいることによって自分の中の何かが開くのだ。
それは彼が自分を開いているからそうなるのだ。


「君にはそういう才能、素質があるよね。」と僕は言った。
彼は少し照れた風に「僕が少しおしゃべりなだけだよ。」と言った。


僕はそういう彼に信頼と尊敬を抱いているのだ。