会話
どっかの新聞のコラムに「自分を見つめることにはあまり意味がない」と書かれていた。
まじかよ、と思った。
だって仕方ない。
一人でいることが多いし、
会話相手は自然と自分になってしまうから。
そのコラムを鵜呑みにするわけではないんだけど、
他人と会って自分を相対化する必要は感じるよ。
一人でいると自分の世界が絶対的なものになるからね。
それは外部に対して耳を閉ざしているだけなんだよ、多分。
僕は職業柄「仕方なく」一人でいることが多いけど、
やはりそれではいけないって感じるよ。
それが逆になれば良いと思うんだけど。
つまり、他人といつも触れ合ってるからたまには一人になりたいって状況。
外の世界の魅力は簡単に言えば「思いがけないことが起こる」ってことよね。
自分ひとりの世界だと主観的に色々とコントロールできるから、
思いがけないことってそんなに起こらないよね。
それはそれで面白いんだよ。
すべてが理路整然としていて自分の規則を作り上げてさ、
トーマス・モアの思い描くユートピアってミクロコスモス的な意味もあったはずだよ。
自分の小宇宙の中でさ、自分が機能に還元されてさ、
一つ一つの歯車が回ることを楽しみながら味わうの。
こういう人って外界からの思いがけないことに弱いよね。
本当にすごい人って、
自分の中のユートピアで機能として生きてる人じゃなくて、
思いがけない世界に身を委ねてそれでも破滅しない人だと思うよ。
これってすごく勇気がいることだし、
すごく疲れると思う。
もしかしたら自分を見失うかもしれないよ。
でも自分って見失うほど確かなものじゃないんだよね。
確固たる自分ってのを持ってる人ってそんなにいないと思う。
確固たる自分を持ってるように見せかけてる人はよく見るけど、
そういう人って案外外界の思いがけなさに弱いんだ。
自分を決め付けないほうがいいよ。
限定しないほうがいい。
外に開かれた存在でいようよ。
開かれた扉には何か怪物みたいのも入ってくるかもしれないけどね。
良いじゃん。
会話しようよ。
会話得意でしょ?
入ってきたものと会話すればいいんだよ。
自分と会話するようにね。
それで外界と自分を一致させるんだ。
納得させるって言っても良いかもしれないね。
最近仕事先のおじさんを許せるようになってきたんだ。
少しむかつくこともあるけど、
彼のよさを少しでも多く見つけようと思ってるよ。
扉に入ってきたけど、
歯車のひとつが狂うかもしれないけど、
うまくいくもんだよ。
それはそれで楽しい発見もあるよ。