2つの足りないこと
今日、久しぶりに教授に会うことができた。
教授から2つの指摘を受けた。
その2つは僕に足りないと思われることだ。
①ゼミに顔を出すこと
僕がゼミに出席しなかった理由。
1週間ごとに何か形にして論文を持っていかなければいけない。
1週間で自分が満足できる論文を書けなかった。
満足できるものがないのに何のために出席するのかと考えていた。
来週こそは満足できるものを持っていこうと考える。
しかし翌週も自分の論文に満足できない。
来週こそは。来週こそは。
と引き延ばしている内にゼミに出席することが怖くなった。
こんなに休んでいるのだから、それなりによく出来たものを持っていかなければと思うからだ。
自分に対するハードルが気付かぬ間に上がっていた。
だからゼミに出席することが出来なくなった。
しかし自分だけの力では論文を書き上げることができない。
先生やゼミ生の客観的意見を取り入れて論文を肉付けしていけたら良いのだ。
客観的意見によって自分の意見が揺らぐのを恐れた。
これもゼミに出席しなかった理由の一つだ。
それは間違っていた。
結果的に論文は完成していないからだ。
自分の力だけでは書き上げることは出来ない。
客観的意見に身を委ねる勇気が欲しい。
そうならなければならない。
もう一つ。
もし1週間で満足するものが書けなかったとしてもゼミには出るべきなのだ。
何も持っていくものがないとして、他の生徒が発表をするとする。
その生徒の方法論や切り口が自分の論文へのヒントとなる場合がある。
家で悶々と書けない書けないと頭を抱えていても何も生まれない。
全然関係のない論文の発表だってヒントになるのだ。
だからゼミに出席すべきなのだ。
②やり方
例えば料理をつくる場合、2パターンが存在する。
1つ目は、作りたい料理があってそのために材料を集めるパターン。
2つ目は、冷蔵庫の残っている材料を見て、その日に作る料理を考えるパターン。
このパターンは論文においても同じで、論文の書き方にも2パターンある。
1つ目は、書きたい論文のテーマがあってそのために材料(資料)を集めるパターン。
2つ目は、手元にいくつか材料(資料)があって、それを見て書ける論文を考えるパターン。
僕の場合、目指すべきパターンは1つ目のパターンなのだが、実際に選んでいたパターンは2つ目だった。
つまり、書きたいテーマの論文があるのに、そのための材料集めを怠り、
今ある材料だけで何とか書こうとしていたのだ。
目指す論文を書き進めることが出来ないということは、
手元にある材料が足りなすぎるのだ。
冷蔵庫の中に全然材料が入っていないのに、
高級料理を作ろうとしているようなものだ。
なので、今からもう一度材料を集めたいと思う。
書きたい論文を書き上げるために必要な材料をもう一度集めなおしたい。
まずそこから始めたい。
そうすればまた今とは違った景色が見えてくるはずだ。
行動しよう。
足を動かせ。
材料集めは少し疲れるが猿でも出来る。
猿になるんだ。