麻痺
舞城王太郎『世界は密室でできている。』を読了した。
舞城の本を読むのは2冊目なのだが(1冊目は『煙か土か食い物』)、
良いところは見つけやすい。
例えば、文体のスピード感は一つの良さといえるだろう。
そのスピード感はとりわけ心象描写にあらわれている。
現実の世界における僕たちの心に去来する言葉は常にスピード感と共にある。
美しい景色を見たとき、綺麗な女性を見たとき、
汚い人間を見たとき、酔っ払ってトイレに覆いかぶさりゲボを吐いているとき、
心の中で描写するその世界は、指からすり抜ける砂のように捉えがたい。
言葉が訪れては去っていく。
舞城の小説における言葉のスピード感はそれに近い。
そのために読者が主人公に同化しやすく、
主人公の心に去来する言葉が現実感を持って読者に訪れるのだ。(または去っていくのだ。)
しかし、僕には舞城の小説がそこまではまらない。
むしろ何となく苦手な感じを受ける。
昨日、今日と電車の中で考えてみた。
何が苦手なんだろう、と。
しかし全然見つからなかった。
言葉にならなかった。
なぜ言葉にならないのかも分からない。
確かに苦手なのだが、なぜ苦手なのか分からない。
本を読むとき、批判的な視点をなくしてはならないと僕は思っているのだが、
その批判的な視点が麻痺させられているのだろうか。
もう少し勉強する必要があるなと思った。